大崎
下津湾の支湾である大崎の地は、湾口が山に囲まれて南を向き、北西に開く下津湾よりも風を避けるため、小型船の時代には優れた係留の地であった。古代から船出の地として知られている。口が山に囲まれて南を向き、北西に開く下津湾よりも風を避けるため、小型船の時代には優れた係留の地であった。古代から船出の地として知られている。
石上乙麻呂が罪を得て、土左国(高知県)に島流しの刑に処せられて、奈良の都から土左へ向かう時の歌が万葉集に残されています。
石上 振の尊は 弱女の 惑ひに因りて 馬じもの 縄取り付け 鹿じもの 弓矢囲みて 大君の 命恐み 天離る 夷辺に罷る 古衣 又打山より 帰り来ぬかも
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(巻六、一〇一九)
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大君の 命畏み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我が背の君を かけまくも ゆゆし畏し 住吉の 現人神 船の舳に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々 寄りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風にあはせず 障みなく 病あらせず 速けく 帰したまはね 本の国辺に
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(巻六、一〇二〇、一〇二一)
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父君に 我は愛子ぞ 母刀自に 我は愛子ぞ 参ゐ上る 八十氏人の 手向する 恐の坂に 幣奉り 我はぞ追へる 遠き土左道を
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(巻六、一〇二二)
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大崎の神の小浜は狭けども百船人も過ぐといはなくに
(大意)大崎の神のおわします小浜は狭い浜ですが、多くの船(船人)はここに立ち寄らずに通り過ぎることはありませんのに。(私は立ち寄ることもなく通り過ぎていくことだ)
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(巻六、一〇二三)
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