和歌山市エリア, 万葉故地
大崎は通説では海南市下津町の「大崎」と考えられていますが、江戸時代の仁井田道貫著『みよはなし』に「大崎 田倉〔古名 飽等〕」とあって一説として加太の田倉崎の地が比定されています。
大崎の神の小浜は狭けども百船人も過ぐといはなくに (大意)大崎の神のおわします小浜は狭い浜ですが、多くの船(船人)はここに立ち寄らずに通り過ぎることはありませんのに。(私は立ち寄ることもなく通り過ぎていくことだ) |
(巻六、一〇二三) |
大崎(おおさき 海南市下津町)
石上乙麻呂が罪を得て、土左国(高知県)に島流しの刑に処せられて、奈良の都から土左へ向かう時の歌が万葉集に残されています。
石上乙麻呂卿、土左国になが配さゆる時の歌三首(并せて短歌)
大意大崎の神のおわします小浜は狭い浜ですが、多くの船(船人)はここに立ち寄らずに通り過ぎることはありませんのに。(私は立ち寄ることもなく通り過ぎていくことだ)
大崎(おおさき 和歌山市加太田倉崎)
大崎は通説では海南市下津町の「大崎」と考えられていますが、江戸時代の仁井田道貫著『みよはなし』に「大崎 田倉〔古名 飽等〕」とあって一説として加太の田倉崎の地が比定されています。
大意大崎の神のおわします小浜は狭い浜ですが、多くの船(船人)はここに立ち寄らずに通り過ぎることはありませんのに。(私は立ち寄ることもなく通り過ぎていくことだ)
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