和歌山市エリア, 遺跡
平安時代中頃の永承3年(1048)の記録に平井津と吉田津という湊の名前があります。紀の川上・中流の物資輸送や古代の租税の海上輸送の要の湊であったことが分かります。 物資としては、頴(稲穂)や木材を輸送していたことがわかります。平井津は今の和歌山市平井で淡路街道の南付近に想定されます。紀の川は当時その南、現在の県道7号線付近を流れていたのでしょう。南海道は津の北を通っていたことが推定できます。
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