コース 5紀伊国府と古墳群

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和歌山市エリア, 遺跡

府中遺跡

紀伊国府について

国府とは律令時代に設置された各国々の役所で今の県庁に当たります。全国の国府の所在した郡名を書いた平安時代の書物が残っています。国府はふつう「こう」と呼ぶことが多いです。所在した場所の地名は「府中」(徳島県ではこの地名を「こう」と読みます)「国府」「国衙」などがあります。所在した郡の中でそのような地名の場所を国府跡と考えることができます。その後発掘調査で国府の様子が分かるようになってきました。その結果、全国の国府では、政治の中心となる政庁は、中心となる正殿が南面して建てられ、その前後に前殿や後殿を置くが、いずれかを欠いていることもあります。正殿の左右前方に南北棟の東・西脇殿が対称的に配置され、これらのあいだに広い前庭をつくり、前庭には玉石を敷くこともありました。また南正面には南門が設けられ、他の3面にも門があったことが分かってきています。政庁近辺には国府の役人(国司等)の官舎や倉庫群等がありました。
紀伊国の国府は名草郡(現在の和歌山市)府中にあったと考えられます。
和歌山市府中の聖天宮(府守神社)を中心としてその西一帯の地名「平林」や、南の影臨寺付近の「御舘」という地名が残る付近に政治を行う政庁があったのではないかと考えられています。
府守神社の周辺ではボーリング調査が行われており、8~9世紀に属する遺物が神社以東で高密度に分布している可能性があるといわれています。
天慶2年(878)に9月に台風が襲来し、紀伊国の国府の政庁・学校・21の官舎が壊れたとの記録が残っていますがその建物群の建っていたところはまだわかっていません。

 平成29、30年度文化庁文化芸術振興費補助金

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