和歌山市エリア, 万葉故地
和歌浦は聖武天皇(奈良東大寺の大仏〔廬舎那仏〕を建立した天皇です)が、神亀元年(724)にこの地を訪れて遊覧し、今後ここが荒廃しないようにせよとの詔を発し、行幸従駕の人々がたくさんの歌を詠みました。とりわけ山部赤人が詠んだ「若の浦に潮満ち来ればかた潟をなみあしへ葦辺をさしてたづ鶴鳴き渡る」の歌が有名です。万葉集では「若の浦」と表記されていますが、平安時代の『古今和歌集』の仮名序に「わかのうら」の歌が取り上げられたのを画期として、「わかのうら」は和歌の聖地としての位置を不動のものとしました。平成29年には「絶景の宝庫 和歌の浦」が日本遺産に認定されました。
やすみしし わご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ尊き 玉津島山 (大意)我が天皇の永久に続く宮として、我らがお仕え申し上げている雑賀野の地、その南に広々と広がる海、そして少し目を転じれば沖合いに向かって点々と連なる沖の島々、その島々の清らかな渚では、潮満ちて風が吹くと白波が立ち、そして潮干になると人々があちこちで玉藻を刈っている。神代の昔からこのように尊いことよ、この玉津島山は。 |
(巻六、九一七) |
沖つ島荒磯の玉藻潮干満ちい隠り行かば思ほえむかも 今潮がひいて、沖の島々の荒磯の上に見えている美しい玉藻、この玉藻もやがて潮が満ちて海中に消えていくだろう。そうしたらしみじみと想われることだろうな。 |
(巻六、九一八) |
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る 若の浦に潮が満ちて、干潟がなくなると、波打ち際の葦辺に向かって鶴が一斉に鳴き渡る。 |
(巻六、九一九) |
名草山言にしありけり我が恋ふる千重の一重も慰めなくに (大意)ナグサ山なんて言葉だけの山だったよ。なぜって、積もりに積もった私の恋の心の幾襞の、その一襞さえも慰めてくれないのだもの。 |
(巻七、一二一三) |
玉津島よく見ていませあをによし奈良なる人の待ち問はばいかに (大意)この美しい玉津島の景色をしっかりと目にやきつけていらっしゃって下さいませ。奈良の都であなたのお帰りをお待ちの方に様子を尋ねられたらどうなさいますか。(どうぞごゆっくり。) |
(巻七、一二一五) |
潮満たばいかにせむとか海神の神が手渡る海人娘子ども (大意)潮が満ちて来たらどうしようというのだろうか。恐れ気もなく海神の手を渡って行く海人(漁師)のおとめ娘子たちは。 |
(巻七、一二一六) |
玉津島見てし良けくも我はなし都に行きて恋ひまく思へば (大意)このすばらしい玉津島の景色をいくらみても私の心は楽しみません。都に帰ってから、この景色をもう一度見たいと、せつない思いにさいなまれるであろうことを思いますと。 |
(巻七、一二一七) |
若の浦に白波立ちて沖つ風寒き夕へは大和し思ほゆ (大意)若の浦に白波が立ち、沖吹く風が肌寒く感じられるこの夕暮れには、ふるさと大和のことがしみじみ思われることよ。 |
(巻七、一二一九 |
我が舟の梶はな引きそ大和より恋ひ来し心いまだ飽かなくに (大意)私の乗った舟のろ艪(かい櫂)は引かずに止めていておくれ。大和の都からずっと恋い焦がれてきた若の浦への憧れの心がまだ治まっていない、まだまだ見たいから。 |
(巻七、一二二一 |
玉津島見れども飽かずいかにして包み持ち行かむ見ぬ人のため (大意)玉津島のこの美しい景色は、いくら見ても見飽きることがない。この景色を何とかして、包んで都に持ち帰りたいものだ。まだ見ていない人のために。 |
(巻七、一二二二 |
紀伊国の雑賀の浦に出で見れば海人の燈火波の間ゆ見ゆ (大意)紀伊国の雑賀の浦に出てみると、海人(漁師)の灯すいさりび漁火が波間にチラチラと見え隠れして見える。 |
(巻七、一一九四 |
玉津島磯の浦廻の真砂にもにほひて行かな妹も触れけむ (大意)玉津島の磯の浦辺一面に広がる砂浜、その浜の細かな砂に触れて、その白い色に染まっていこう。妻もきっとこの砂に触れたのだろうから。 |
(巻九、一七九九) |
衣手のま若の浦の真砂地間なく時なし我が恋ふらくは (大意)ま若の浦の美しい真砂のように、絶え間がない。私のあなたへの恋心は |
(巻十二、三一六八) |
若の浦に袖さへ濡れて忘れ貝拾へど妹は忘らえなくに 或本の歌の末句に云はく、忘れかねつも (大意)彼女への切なく苦しい恋心をいっそ忘れてしまおうと、若の浦に袖まで濡れそぼって忘れ貝を拾ったけれど、一向に忘れられないよ。 |
(巻十二、三一七五) |
和歌の浦、玉津島、雑賀の浦(わかのうら、たまつしま、さいかのうら 和歌山市和歌浦、雑賀崎)
和歌浦は聖武天皇(奈良東大寺の大仏〔廬舎那仏〕を建立した天皇です)が、神亀元年(724)にこの地を訪れて遊覧し、今後ここが荒廃しないようにせよとの詔を発し、行幸従駕の人々がたくさんの歌を詠みました。とりわけ山部赤人が詠んだ「若の浦に潮満ち来ればをなみをさして鳴き渡る」の歌が有名です。万葉集では「若の浦」と表記されていますが、平安時代の『古今和歌集』の仮名序に「わかのうら」の歌が取り上げられたのを画期として、「わかのうら」は和歌の聖地としての位置を不動のものとしました。
神亀元年甲子の冬十月五日、紀伊国に幸す時に、山部宿禰赤人の作る歌一首(并せて短歌)
大意我が天皇の永久に続く宮として、我らがお仕え申し上げている雑賀野の地、その南に広々と広がる海、そして少し目を転じれば沖合いに向かって点々と連なる沖の島々、その島々の清らかな渚では、潮満ちて風が吹くと白波が立ち、そして潮干になると人々があちこちで玉藻を刈っている。神代の昔からこのように尊いことよ、この玉津島山は。
大意今潮がひいて、沖の島々の荒磯の上に見えている美しい玉藻、この玉藻もやがて潮が満ちて海中に消えていくだろう。そうしたらしみじみと想われることだろうな。若の浦に潮が満ちて、干潟がなくなると、波打ち際の葦辺に向かって鶴が一斉に鳴き渡る。
大意ナグサ山なんて言葉だけの山だったよ。なぜって、積もりに積もった私の恋の心の幾襞の、その一襞さえも慰めてくれないのだもの。
大意この美しい玉津島の景色をしっかりと目にやきつけていらっしゃって下さいませ。奈良の都であなたのお帰りをお待ちの方に様子を尋ねられたらどうなさいますか。(どうぞごゆっくり。)
大意潮が満ちて来たらどうしようというのだろうか。恐れ気もなく海神の手を渡って行く海人(漁師)の娘子たちは。
大意このすばらしい玉津島の景色をいくらみても私の心は楽しみません。都に帰ってから、この景色をもう一度見たいと、せつない思いにさいなまれるであろうことを思いますと。
大意若の浦に白波が立ち、沖吹く風が肌寒く感じられるこの夕暮れには、ふるさと大和のことがしみじみ思われることよ。
大意私の乗った舟の艪(櫂 )は引かずに止めていておくれ。大和の都からずっと恋い焦がれてきた若の浦への憧れの心がまだ治まっていない、まだまだ見たいから。
大意玉津島のこの美しい景色は、いくら見ても見飽きることがない。この景色を何とかして、包んで都に持ち帰りたいものだ。まだ見ていない人のために。
大意紀伊国の雑賀の浦に出てみると、海人(漁師)の灯す漁火が波間にチラチラと見え隠れして見える。
大意玉津島の磯の浦辺一面に広がる砂浜、その浜の細かな砂に触れて、その白い色に染まっていこう。妻もきっとこの砂に触れたのだろうから。
大意ま若の浦の美しい真砂のように、絶え間がない。私のあなたへの恋心は
大意彼女への切なく苦しい恋心をいっそ忘れてしまおうと、若の浦に袖まで濡れそぼって忘れ貝を拾ったけれど、一向に忘れられないよ。
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