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真土山の裾を流れる川(現在の「落合川」)を挟んで両岸から大きな岩が迫り出している場所で、「神代の渡し場」とも呼ばれています。大和国と紀伊国を往還する旅人は、この岩場をピョンと渡って異国へと足を踏み入れました。
白たへににほふ真土の山川に我が馬なづむ家恋ふらしも (大意)白い布のようにまっ白に照り映える真土、その真土の山を流れる川に、私の乗った馬が行きなづんでいる。家の者が私のことを思っているらしい。 ※「真土の山川」とは、真土山の山裾を流れる川のことで、現在、真土山の西を流れて落合川と呼ばれています。和歌山・奈良両県の県境はここに置かれています。小さな川ですが、当時の人々がこの川を渡るのに難儀をしたであろうことは、この川が紀の川に注ぐあたりまで辿ってみますと、その峡谷の深さに驚き、なるほどと実感できます。この歌では、旅行く私の乗った馬が川を渡ろうとして動かなくなってしまった、それは家に残って帰りを待っている家人が、今私のことを恋しく思っているからだろうと歌っています。 |
(巻七、一一九二) |
飛び越え石(とびこえいし)は、真土山の裾を流れる川(現在の「落合川」)を挟んで両岸から大きな岩が迫り出している場所で、「神代の渡し場」とも呼ばれています。大和国と紀伊国を往還する旅人は、この岩場をピョンと渡って異国へと足を踏み入れました。
大意白い布のようにまっ白に照り映える真土、その真土の山を流れる川に、私の乗った馬が行きなづんでいる。家の者が私のことを思っているらしい。
※「真土の山川」とは、真土山の山裾を流れる川のことで、現在、真土山の西を流れて落合川と呼ばれています。和歌山・奈良両県の県境はここに置かれています。小さな川ですが、当時の人々がこの川を渡るのに難儀をしたであろうことは、この川が紀の川に注ぐあたりまで辿ってみますと、その峡谷の深さに驚き、なるほどと実感できます。この歌では、旅行く私の乗った馬が川を渡ろうとして動かなくなってしまった、それは家に残って帰りを待っている家人が、今私のことを恋しく思っているからだろうと歌っています。
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